早期不妊去勢手術

現在の日本における一般の動物病院では、不妊及び去勢手術は約6ヶ月齢前後で行っているところがほとんどだと思いますが、当シェルターでは早期不妊去勢手術を行っています。

米国獣医師会では早期不妊去勢手術(early spay and neuter)とは、8~16週齢の性成熟前に行われる手術のことであると定義しています。日本ではまだまだ普及しているとは言えない状況ですが、アメリカのシェルターでは少なくとも10年以上前から行われています。地域社会での望まれない動物を減らす『頭数コントロール』の一環として、性成熟前の性腺摘出術は非常に重要なものと考えられています(当シェルターでは、雄では精巣摘出、雌では卵巣子宮全摘出を行います)。

早期不妊去勢手術の大きな目的は、譲渡後の繁殖を防ぐことです。
今の日本は20年前のアメリカの状態だと言われています。かつてアメリカでも、ペットの頭数過剰状態に陥り、多くの命が無為に処分されてきました。その状況を打開しようと色々な策が講じられましたが、望むような効果は得られず、一番効果を上げたものが早期に不妊去勢手術を行ってその後の繁殖を防ぐ、というものだったのです。

アメリカでは米国獣医師会(AVMA)、動物病院協会(AAHA)、Human Society of the United State などの様々な団体が、犬や猫の過剰頭数の問題に対する解決策としての早期不妊手術を支持しています。

(1990年代~)ペットの頭数過剰問題改善のための取り組み

アメリカの行政、動物福祉団体、獣医師の連結のもと、各種の試みが行われました。

  1. ペットの人口過剰問題は『社会問題』であると認識した
  2. ペットの人口過剰問題は非人道的であると訴えた
  3. 一般市民を啓蒙した
  4. 不妊去勢手術の値段を下げた
  5. 不妊去勢手術の専門病院を作った
  6. 不妊去勢手術を法律で義務化した
  7. 不妊去勢手術を前金制度にした
  8. 犬の登録料に差をつけた
  9. 繁殖を許可制にした(繁殖ライセンスの取得義務)
  10. 早期不妊去勢手術を広めた
  11. 早期不妊去勢手術を法律で義務化した(1990年)
  12. シェルターレスキューの活躍
  13. 野良猫の数をコントロールした
  14. ペットショップでの生体販売がみられなくなった
  15. アニマルポリスが活躍した
  16. 遺伝病の研究を進めた

2000年 新シェルター法の施行

2000年、カリフォルニアのアニマルシェルター(公共・私設を問わず)から譲渡される犬と猫は、生後2ヶ月齢の子犬・子猫であっても、譲渡される時点で不妊去勢手術が済んでなければならないことになり、この法律制定以降、シェルターでの安楽死の数が目に見えて減りました。

2008年 強制法の発令・施行

ロサンゼルスではすべての飼い犬・飼い猫は不妊去勢手術が行われていなければならないという『強制法』が出来ました。

以上のように、アメリカでは不妊去勢手術はペットの犬・猫に必ず行わなければならない当たり前の手術となっています。また、不妊去勢手術は繁殖を防ぐことだけではなく、多くの病気の予防になることも今では分かっています(代表的なものとして、雌では乳腺腫瘍や子宮蓄膿症、雄では精巣腫瘍や前立腺の病気など)。不妊去勢手術は、英語では『fix』(修理する)と表現されるそうです。
ペットは不完全な状態で生まれてきて、不妊去勢手術という『修理手術』を施されることにより、ようやく一人前になる、という感覚がアメリカにはあるようで、獣医師が手術を勧めるときは『不妊手術はしないのですか?』ではなく、『まだしていないのですか?』と現在完了形で尋ねることが多いそうです。日本とは感覚がまったく違っていますね。

このように、アメリカではシェルター法、強制法の施行により、アニマルシェルターではごく一般的に、また一般の開業獣医師の場合にはおそらく80%の方が早期不妊去勢手術を実施していると思われます。ただし、開業獣医師においては、すべての場合に早期不妊去勢手術を奨励しているわけではなく、いつ、どの年齢で不妊去勢手術を行うかということは、飼い主との話し合いによって決めることが一般的です。また、残りの20%の獣医師も、早期手術に反対しているのではなく、その技術を取得していないからということが大半のようです。自分はしないが早期には賛成という人が大多数を占めているようです。※早期不妊去勢手術に対して、生後6ヶ月齢前後で行う手術は『古典的不妊去勢手術(classic spay and neuter)』と呼ばれています。性成熟に達する生後9ヶ月齢以降に行われる場合は『遅延型不妊去勢手術(late spay and neuter)』と称され、今では遅延型を行う人はほとんどいないそうです。

(これらについては、アメリカ在住の獣医師・西山ゆう子さんの書かれた著書『アメリカ動物診療記 プライマリー医療と動物倫理』(駒草出版)を参考にしています。詳細をもっと知りたいという方は、ぜひご参考になさってください)

早期不妊・去勢手術のメリット

1:動物側のメリット

年齢が若いほど、手術のトラウマが少なく、回復が速やかで、体への負担が少ない。
精神的・肉体的なトラウマは、年齢が上になるにつれて増大する傾向がある。

2:社会的メリット

性成熟に達する前に手術を行うことにより、100%繁殖を予防できる。
すなわち、ペットの頭数抑制につながる。

3:獣医師側のメリット

獣医小児学を理解した上で実施することが必要だが、手術のしやすさ、簡単さ、手術時間の短さなどがあげられる。若齢動物は脂肪の発達も少なく、皮膚や組織も柔軟で扱いやすい。卵巣子宮や精巣のサイズは小さいが、血管も未発達なため出血も少なく、手術時間を短縮できる。

4:飼い主側のメリット

迎え入れる時点で手術が終わっているので、飼い主側の時間的な都合を考慮しなくても済む。
特に雌犬の場合は、初回の発情が来てから不妊手術を行うと、将来乳腺腫瘍の発生する確率が上がることが医学的に証明されている。

早期不妊去勢手術の合併症

麻酔、手術手技の合併症についてさまざまな議論がされてきましたが、現在では早期手術と古典的手術のどちらがより危険であるということはない、と科学的に結論づけられています。
『麻酔を使う外科手術』である以上、どちらも最低限の合併症が発生するリスクはありますが、その発生率は両者ともに同じであるとされています。

早期不妊去勢手術の影響

早期不妊手術による影響に関する研究も多く行われています。幼齢動物への不妊手術はまだまだ反対意見や不安だと心配する声も多いのが実情だと思います。ここでは、これまでに報告されてきた早期不妊手術による動物への影響や安全性を参考文献より紹介させていただきます。

先に結論から述べますと、10週齢で手術を行っても、6ヶ月齢で行ったとしても、結局は両方とも性成熟前ということになり、健康上のリスクは同じであるということが以下の研究により証明されています。

早期不妊手術の短期的な影響

約2000頭の犬猫により、性成熟前に行った不妊手術における短期的(7日間以内)な影響や手術の合併症に関する調査が行われた。この研究では、動物の手術期を3つの群に分類し(12週齢以下(性成熟前)、12~23週齢(性成熟前)、24週齢以降(従来の不妊手術時期)、麻酔中、手術中および手術直後の合併症の有無を記録。その結果、早期不妊手術が従来の手術時期に比べ、短期的な疾病率や死亡率が多いという結論には至らなかった。他の研究でも、早期不妊手術の方が手術時の合併症や短期的な死亡率が低いことが分かっている。

早期不妊手術の長期的影響

長期的な影響には、肥満、感染因子に対する免疫系の防御能力の低下、長骨骨端軟骨の閉鎖遅延、猫では閉塞性下部泌尿器疾患、雌犬では尿失禁、行動の変化などが挙げられるが、これらは性成熟期以降に行う従来の不妊手術後にも見られる影響である。一般論として、24週齢未満で性腺切除術を行った猫(n=188)と、24週齢以降に手術を行った猫(n=263)を術後37ヶ月間追跡調査した結果(中央値)、不妊手術の長期的影響に有意差はなかった。

  1. 肥満

    肥満は小動物でもっとも多い栄養障害と考えられているが、猫の場合、7週齢で不妊手術を行っても、7ヶ月齢で行っても、未去勢猫に比べるとボディ・コンディション・スコア、ボディ・マス・インデックス(共に肥満度を示す指数)が高い傾向にあるが、不妊手術を行う時期による差はなかった。未去勢猫に比べて不妊手術を行った猫では代謝率が低いことが示されているが、不妊手術を行う時期による影響はなかった。

    肥満は色々な原因からなる障害で、不妊手術は1つの要素ではあるが、手術の時期が問題ではなく、不妊手術後の食事管理や適切な運動を与えることで予防することは可能である。

  2. 感染性疾患

    猫においては、上部呼吸器感染症、FIV、FeLVやFIPなど長期的な免疫抑制に関連した疾患の罹患率と不妊手術の時期に相関性は認められなかった。ある研究では、免疫抑制に関連した歯肉炎の発生率は早期不妊手術を行った猫の方が低かったことが示されている。

    猫では上部呼吸器感染症がもっとも多くみられる感染性疾患だが、早期不妊手術を行った場合と24週齢以降に不妊手術を行った場合とでは、罹患率に差はなかった。すなわち、感染症に対する感受性も手術時期による相関性は認められなかったことになる。

  3. 長骨骨端軟骨の閉鎖

    長骨の発達や閉鎖は、エストラジオールやテストステロンなどの性腺ホルモンに依存している。不妊手術を行う時期は、7週齢でも7ヶ月齢でも、未去勢の動物に比べるとトウ骨遠位端の閉鎖遅延が認められたが、有意差はなかった。長骨の骨折や関節炎の発生頻度と不妊手術の時期に相関性はないという研究報告もある。

  4. 猫の下部泌尿器疾患

    去勢手術により下部泌尿器疾患の発生率が高くなるということはよく耳にするが、果たして科学的根拠はあるのか。Howeらの研究では、早期不妊手術によって猫の突発性下部泌尿器疾患(ILUD)や雄猫の尿道閉塞の発生率が増加しないことが分かった。むしろ、24週齢以降に去勢手術を行った猫の方が膀胱炎を含む泌尿器障害のリスクが高かったことが示された。
    尿道の直径も7週齢で去勢しても7ヶ月齢であっても、あるいは未去勢でも有意差は認められなかった。

  5. 行動

    性成熟前に不妊手術を行った犬や猫は幼い行動が残り、トレーニングがしにくいといわれている。しかし、24週齢前と後に不妊手術を行った猫で、排尿行動や攻撃性について調べた研究によると、早期不妊手術で問題行動が増加したという結果は見られなかった。7週齢(n=65)あるいは7ヶ月齢(n=64)で不妊手術を行い、介護犬としての訓練の成功率を調査した結果、差は認められなかったとの報告がある。また、盲導犬になる成功率は性成熟前に去勢手術を行った犬の方が、24週齢以降に去勢手術を行った同腹子よりも高いといわれている。

    行動学専門病院で行った研究では、不妊手術を行った犬やシェルターから譲渡された犬には分離不安症が多い傾向にあることが示されたが、その診断時年齢や不妊手術時期に相関性はなかった。音への恐怖症が早期不妊手術で増加したという報告もあったが、著者らは不妊手術の時期よりも譲渡の年齢が低かったことのほうが大きな原因と結論づけている。また他の研究では音恐怖症には性差、不妊状態あるいは不妊手術時期に相関性はないと示している。

    猫では年齢に関わらず、攻撃性や尿スプレー行為が去勢手術で減少するといわれているが、早期不妊手術では獣医師に対する攻撃性も減少することが報告されている。早期不妊手術を行った猫で臆病になったり隠れたりする頻度が高くなったことが示されたが、このような行動はストレスの多い経験(譲渡など)で発現し、後に解決することでもあるので、著者らは早期不妊手術による影響なのか、あるいは低年齢で譲渡することが原因なのかの判別はつかなかったとしている。

MVM 2008年3月号、5月号 『シェルターメディシンにおける頭数コントロール』より)

当シェルターでもすでに6,000頭以上の子猫を手術していますが、麻酔の合併症などは現時点では認められていません。成猫の手術と比較しても、はるかに麻酔からの覚醒が早く、術後に痛みを呈す様子もほとんど見られません。5分もすればけろりとした顔で食事の催促をします。

手術自体の時間も格段に短いです。雌では切開部も2cm以下で済みますし、とにかく内臓脂肪が少ないので、脂肪に埋もれた子宮を探して時間を取られる、ということがまずありません。逆に一番手間がかかる部分は、皮膚の縫合かも知れません。500~800g前後の個体は皮膚が薄いので、皮内縫合をしたくても、縫合針で皮膚が裂けてしまうことがあります。猫の余計なストレスをかけないよう(元気よく跳ね回る子猫を保定するのも大変なので…)なるべく皮内縫合を行っていますが、あまりにも皮膚が薄い場合には、通常の単純結節縫合を行っています(1~2糸で終わるのであっという間です)。体重でいうと、1kg以下の個体の方がより回復が早いように感じられます。

早期不妊去勢手術は当シェルターのような場所では必要不可欠な手術で、『生まれても行き場がなく、処分されてしまう』という不幸な動物を増やさないために、もっとも効果的で重要な処置であると思います。